孤独な心

家庭内での虐待の経験、身体障害、の両方を持つ人のブログ

自分と他の人との違い

自分は他の人と違う。それは、私がもう小学生相当の年齢の時点から、感じ始めていたことだ。家庭内で虐待されること…頻繁に叩かれ、身障者は人間じゃ無い、お前なんて生まれなければよかったなどど言われること…が普通ではないとずっと前から気づいていた私にとって、まあ、自分は他の人と違うのは当たり前と言えば当たり前だった。

 

しかし、ネットで人と関わるようになった19歳ごろから、私は、もっと深くその意味を理解するようになった。初めはあまりわからなかったが、時が経つにつれ、自分は他の人と全然違うのだと思うようになった。

 

言うことが違うのである。例えば、SNSの中でも、私は、まあたぶん割と固い。冗談を言うことは無いし、顔文字絵文字等はほとんど使わない。感嘆符さえあまり使うことがない。まあ、なんというか、淡々と言っているタイプである。

 

しかし他の人は違う。顔文字絵文字はいっぱい使うし感嘆符も使いまくる。私から見るととても大げさに映るのだが、まあわかりやすく言うと、いちいちハイテンションなのである。そしてなにより…きちんとした文章になっていない事も多い。あくまで私から見ての話だが。

 

ゲームやアニメなど、そういう趣味の事を多く言うアカウントならばそれは仕方ないかもしれない。しかし、病み垢と言う日々の愚痴や悩みや辛い事を言うアカウントでもそんな感じなのである。

 

私はぶっちゃけ理解ができない。苦しいのに辛いのになぜそんなに明るいのか元気なのかと。苦しい辛いという事は疲労を生む。精神的な活力…エネルギーを奪っていくのだ。にも関わらず。ハイテンションなのだ。よくわからない。私は、所謂病みアカというところに、流れに流れて、居る。なんだかんだで一番長い。もう4、5年ほどである。虐待などで悩んでる人もまあ多かった。だから当初は嬉しかった。同じ世界で生きて同じものを感じて生きているのだ、だから理解し合える、なんて思って嬉しかった。

 

しかし、けっきょくあまり変わらなかった。ぶっちゃけた話、みんな幸せそうである。24時間苦しみまくっている人は中々いない。楽しい時間、一時が誰しもあるのだ。心がウキウキするような…そういうものがあるのだ。…私には無い。まったくない。心がウキウキと言う感覚がそもそもわからない。

 

まあそんな感じで、自分は他の人と違うのだと強く感じてきたわけだ。ちなみに。私と同じような文章の雰囲気の人はいないわけではない。居ないわけではないが、そういう人はSNSライトユーザーである。ヘビーユーザーではない。超絶ハイテンションで楽しそうにしている人の方がヘビーユーザーであることが多い。そして意外に、現実ではおとなしいという人も多かったりする。まあネットではっちゃけてるんだな。

 

…しかし私は思うのだ。ネットではっちゃけている人は、そっちが本性ではないのか、と。私は思うのだが、ネットはリアルと比べ好き放題できる。制限は緩い。リアルは変な事をすると噂になって生活に差し障る可能性があるが、ネットではそういう心配がない。だから自由である。…だから、人の本性が出やすいのではないかと私は思うのだ。

 

私はネットではっちゃけようとは思わない。私がSNSをしている理由は、リアルでは常に親の監視下にあるようなものなので、ネットで自分の心を解放して。本当の自分として振る舞いたい…という感じなのだ。

 

むしろリアルの方が私ははっちゃけている。明るくしないと親が不機嫌になり叩かれる可能性があるからである。それに何より、暗くしてるよりある程度明るくしている方が虐めに遭う可能性も低くなる。自分の身を守れる。だから私はリアルではそれなりに明るい。

 

というか長年の家の中の成果のせいで。私は暗い事をリアルで言えなくなった。声が出ない。喋れなくなった。今でもそうである。だから私はネットの方が本心本音を言いやすい。文章の方が言いやすいのだ。

 

まあそんな感じで、自分と他の人は違うな、と私は思いながら。今日もSNSに居る。明るい人の発言は見ないで、人が少なく、人の発言がほとんど流れてこないSNSに、私は今日も居る。