シャドウバースアンリミテッドデッキネクロマンサー編
ロイヤルとドラゴンは飛ばします。あんま強いのないしね。
ネクロマンサーアンリミテッドデッキその①ミッドレンジネクロ
昔なつかしのデッキ。STR期まではアンリミテッドで強いデッキだった。戦法は、まあ低コストで強いフォロワーを並べつつ、それらのフォロワーの攻撃力を上げる7コストのヘクターというカードでフィニッシュ、という感じである。…まあ普通のデッキである。
フォロワーのエイラなどが出てきたROGからはカードパワーの上昇についていけなくなり、それ以後長きに渡りネクロマンサークラスはアンリミテッド環境から姿を消すことになる。なおこの時からミッドレンジネクロと争っていたドラゴンクラスのデッキ、フェイスドラゴンも姿を消すこととなる。
ネクロマンサーアンリミテッドデッキその②ミントネクロ
ネクロは誓った。いつか必ず環境に返り咲いてやると。そして自分をぼこぼこにした数多のデッキに復讐してやると。その怨念は…ついに…すさまじいものを生み出すこととなる。
魂の番人 ミント 3コスト 2・2
このフォロワーが場に出たとき、自分の墓場を+20する。このフォロワーが場を離れるとき、自分の墓場を-20する。(変身した場合を除く)
自分がネクロマンスするたび、自分の墓場を+Xする。Xは、「そのネクロマンスの値」である。
長らく違う効果だったのだが、運営が、あまりにネクロマンサーがアンリミテッドで不遇なことを鑑み、能力そのものを変えた。これによりネクロマンサークラスは息を吹き返すこととなる。
場に出た時墓場枚数を一気に増やし場を去ると元に戻るという一見すると得しない効果のように思えるが、あるカードを使えば場を去るとき墓場が減る能力を消せることに、プレイヤーたちは気が付いた。
沈黙の詩 1コストスペル
カードを1枚引く。
自分のフォロワー1体は、能力すべて(攻撃力/体力はそのまま)を失う。
エンハンス 4; 自分のフォロワー1体ではなくお互いのフォロワーすべては、能力すべて(攻撃力/体力はそのまま)を失う。
これで打ち消せるのである。打ち消した後はどうするか?
死期を視るもの・グレモリー 2コスト 1・3
直接召喚 自分のターン開始時、自分の墓場が自分のデッキより多いなら、これを1枚、自分のデッキから場に出す。
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場に出たとき、自分の墓場が自分のデッキより多いなら、このバトル中、自分のリーダーは「自分のターンごとに1回、自分がネクロマンス したとき、自分の墓場を+Xして、自分のPPをX回復。
Xは「そのネクロマンス の値」である」を持つ。
リーダーはこの能力を重複して持たない。
守護
こいつを直接召喚し、ネクロマンス消費のカードを一度だけ実質0コスト0ネクロマンスで発動させるようにする。
その後どうするか?
デスタイラント 6コスト3・3
疾走
ファンファーレ ネクロマンス 20; +10/+10する
冥府への道 4コストアミュレット
自分のターン終了時、自分の墓場が30枚以上なら、相手のリーダーと相手のフォロワーすべてに6ダメージ。
こいつらで締める。グレモリーの効果が発動してるとデスタイラント一回目が0コストで13疾走になり、さらにもう一体出せるというのがミソである。タイラント×2か、タイラント+冥府で相手にワンキルを仕掛ける。必要コストは6である。ひたすら墓場を増やしミントの効果を起動したなと思ったら6ターン目から突如ワンキルしてくるのがこのデッキである。
デッキ構築は、これらキーパーツと、場のフォロワーを破壊したり手札のフォロワーをを墓地に送るなどの効果付きのドローカードを中心に組まれる。
ドローカードを大量に使うため意外にキーパーツを引き込むことができ、墓場の枚数もたまる。一度墓場枚数が30になってしまえばいつでもワンキルが可能となる。
デッキコンセプト上序盤の攻めを放棄しているため、アグロ(速攻)デッキには不利を取る。しっかり回った教会ビショップにはなすすべなく倒されることも多い。アグロヴァンパイアにも基本的には不利である。そのため、キーパーツ、ドローカード以外は速攻対策カードを積む。基本的にはその3種でミントネクロデッキは組まれる。
ネクロマンサークラスには低コスト除去カードが多く、回復カード(王墓の骸、レディグレイ)もそこそこあるため、同じく序盤の攻めを放棄するワンキルデッキである豪風のリノセウスと比べはるかにアグロデッキに対する耐性が高い。一撃で大量にダメージを与えてくる教会ビショップには明確に不利を取るが、構築やプレイングに気をつければアグロヴァンパイアとは微不利程度でやりあうことができる。
そして序盤の攻めさえうまくしのぎ勝負を長期戦にもつれ込ませることができればそのうち勝利できる。
ミントネクロが豪風のリノセウスなどの他のコンボワンキルデッキと明確に異なる点は、デッキの最重要コンボキーパーツであるミントと沈黙の詩そのものは直接勝利に関わるわけではないというところにある。勝負を決めるのはあくまでも墓場の枚数がたまったうえでのデスタイラント、冥府への道、である。墓場…ネクロマンス数というのはカードを使ってれば勝手に増えていくものであり、別にミントと沈黙の詩を使っていなくても長期戦にもつれ込ませ戦っていればそのうちネクロマンス数は冥府への道の起動に必要な30は無理でも、デスタイラントの起動に必要な20は確実にたまるのである。
ここがミントネクロがコンボデッキであるにも関わらずJCG等で多く使われる所以である。コンボを成功させられなくても長期戦をやってればいいのだ。
そしてひとたびネクロマンスがたまり、グレモリーの効果も発動させてしまえば、デスタイラントか冥府で勝負を決められる。デスタイラントはリノセウスと違い、攻撃力が上がったまま下がることは無いので、相手にダメージを与えられなくとも放置させられないフォロワーとして圧力をかけられ、冥府への道があれば毎ターン盤面全体に6ダメージが行くため疾走札などでなければミントネクロ側にダメージを与えることができなくなる。
つまり、リノセウスのように相手の守護がいたら勝負を決められないということがあまりない。守護でデスタイラントは止まるため抑止力にはなるが死霊の手(1コストスペル 体力1の相手のフォロワー1体を選択して、破壊する。
自分の墓場が8枚以上あるなら、体力1ではなく好きな相手のフォロワー1体を選択する。体力2以上を選択した場合、ネクロマンス 8;そのフォロワーを破壊する)を打たれれば終わりである。
基本的に、相手の序盤、中盤の猛攻をしのげば勝てるというデッキであり、その特性上勝負を長く続けるミッドレンジデッキには極めて強い。アーティファクトネメシス、超越ウィッチなどにやられていたエイラビショップ等のミッドレンジデッキに最後のとどめを刺し環境から消し去ったのはこのデッキである。というかそもそも超越ウィッチもこいつにやられてるような気がする。
盤面での勝負を捨てているデッキであるため、負けるときはあっさり負けるが、コンボパーツが揃う、または長期戦をして準備が整えば相手の盤面に何がいようと(中途半端な守護も含む)関係なくワンキルできるという点は凶悪と言って差し支えないものであり、ぶっちゃけアンリミテッド環境の認識を根底から覆したデッキの一つと言っても過言ではない。まさにミッドレンジネクロの怨念が形となりミッドレンジネクロを狩ってきたすべてのデッキに復讐するために生まれてきたようなデッキである。ミッドレンジネクロに強いエイラビショップとかカモだし。
ネクロマンサーアンリミテッドデッキその③骸ネクロ
これもなかなか壊れたデッキ。というか最新パックで壊れた。
骸の王 9コスト8・8 自分の場にカードが4枚あるなら、このフォロワーのコストは0になる。
ファンファーレ 自分の場の他のカードが4枚なら、自分の場の他のカードすべてを破壊する。
というカードを軸にするデッキである。最新パックで、2コストでとても強いフォロワーを棺桶に入れて場に出して、それがカウントダウン後に壊れたら棺桶に入れたフォロワーが出てくる、みたいな感じのカードが2種追加されて、爆発的に強くなった。それらの棺桶アミュレットを骸の王で破壊すればその棺桶に入れたフォロワーも一緒に出てくる。あっという間にすごい盤面である。それを3,4ターン目にやってくるのだから相手はたまったものでは無い。即リタイアものである。
ただ、骸の王を引き、かつ、そういった棺桶アミュレットを引かなければならず、サーチカードもないため、運によるところが大きく、安定性はあまりない。新パックが出た当初は頻繁に使われたが、今は安定性の高いミントネクロにまた戻っている印象がある。
シャドウバースアンリミテッドデッキ ビショップ編
なんかクラス順序変わってるけど需要を考えてこのほうがいいと思った。
ビショップアンリミテッドデッキその①エイラビショップ
ビショップと言えば私の中ではこれである。え?今全く使われてないって?関係ないビショップと言えばエイラなんだエイラは可愛いんだ。スキン化おめでとう。
という冗談はさておき。エイラの祈祷という自分リーダーを回復させるごとに場のフォロワーすべての攻撃力体力を1ずつ上げるというアミュレットを用いて戦うのがエイラビショップである。もとはアミュレットカードだけだったのだが、進化したらエイラの祈祷を場に出すフォロワーのエイラが出てから、まあ…しばらくアンリミを支配した(え
当時は今ほど速度が馬鹿みたいにあったわけではないので場のフォロワー重視でも十分勝てた。アマツエルフは最初の怒涛の攻撃をしのげばいいのでまあそこそこ勝てた。まあしばらくはアグロ…速攻殺しのデッキとして君臨し続けた。
が、現在は苦手なデッキが多くなり、一線から退いている。最初の犯人は超越ウィッチである。アーティファクトネメシスは不利であったがフォロワーを攻撃から守るアミュレット、安息の領域を設置できれば次のターンで勝てる、ということも結構ありまだぎりぎりやれた。超越が出てきてから追いやられていったのである。
ビショップアンリミテッドデッキその②教会ビショップ
こちらもアミュレット主体だが、エイラビショップとはある意味真逆である。頂の教会という1コストアミュレット
自分のビショップ・フォロワーが攻撃するとき、それは「ターン終了まで、攻撃力の値ではなく体力の値と同じダメージを与える」を持つ。
ファンファーレ 自分の場に他の頂きの教会があるなら、カードを1枚引き、このアミュレットを破壊する。
というのを軸に戦うデッキである。ビショップクラスは攻撃力が低い代わりに体力が高いフォロワーが多く、攻撃力低いんだから体力高めでいいだろーというような感じでいるフォロワーがたくさんいる。それらがすべて……その高めの体力を攻撃力に変え襲ってくるのだ。なかなかに刺激的なデッキである。…というふざけはおいといて。
ビショップは意外に疾走フォロワーも多い。それらも体力が高くて攻撃力が低い。そういうフォロワーを投入しまくり、相手を襲わせる、そういうデッキである。教会さえ引ければその速度は歴代アグロデッキ随一である。環境の高速化を招き、アグロに弱いデッキを追いつめまくり、爆発力はあっても安定性のないアグロ(アマツエルフなど)の存在価値を奪い去り、回りがよければ相手が何をしてこようと5,6ターンで相手を一方的に蹂躙し叩き潰す恐ろしいデッキである。…ねえこいつほんとにビショップクラスか?やってることなんか聖なるなんかじゃ無くて悪魔っぽいんだけど?
という風に解説したが、教会が前提であるためそれがなかったらどうしようもない、というわけで長い間あまり使われなかったデッキではあったがここ最近の数パックで、ランダムではあるが教会をデッキから出せるかもしれない3コストフォロワーセイントグリフォン、質のいい疾走カードをもらったことで、環境の上に上がってきて、更に今パックで教会をサーチできるかもしれない1コストスペルが加わり、そこそこの安定性を獲得して、現在ではかなり暴れている。
なお、ランダムで出せるとかサーチとか言ったが、1コストアミュレット限定であるため、実質ムニャールとの二択であり、50%である。まあそこそこあるな。
…教会を設置できれば最強クラス。設置できなきゃどうしようもない。うまく削るしかない、という感じのデッキである。強いとは言ってもJCGなどであまり採用されていないことなどから、やはり運に左右されるデッキで在ることは変わっていないと見るべきだろう。
その他のデッキに関しては浮上する見込みがないので割愛する。
シャドウバース アンリミテッドデッキ エルフクラス
シャドウバース、アンリミテッドフォーマットデッキ紹介
エルフクラス①リノセウスエルフ
OTKエルフとよく言われる。というかリノセウスエルフと言われることはほとんどない。OTKとは One Turn Kill の頭文字をとったものであり、意味は文字通り1ターンで相手のライフを満タンの状態から削って勝つというものである。
今でこそワンキルデッキはそこそこあるが当時は少なく。このデッキはシャドウバースにおいて最も最初に広まり一般的になってワンターンキルデッキであるため、今でもOTKエルフと呼ばれることが多い。
勝ち方は、リノセウス(2コスト1・1。疾走
ファンファーレ ターン終了まで、「このターン中に(このカードを含めず)カードをプレイした枚数」と同じだけ+1/+0する。)を一ターンに複数枚プレイして削り切るというものである。そのターンのカードプレイ回数を参照するため、リノセウス以前に多くのカードをプレイしておく必要があり、なかなかに難易度は高い。
森羅咆哮のパックから0コストのカードを供給できるカードが2種類出てきたため、それ以前の0コストカード生成カートと合わせ、そこそこの確立でワンキルができるようにはなっている。
現在のOTKエルフは、ローテーションルールにおいてのコントロールエルフに近いものになっており、回復や除去を用いて長期戦を仕掛け、最終的にリノセウスで決着をつけるという形になっている。
ここまで聞くとそこそこ強そうだが、そもそも守護を1つ立てられるだけで大幅にワンキルが阻害され、除去と回復と言っても、毎回毎回それが間に合うわけもなく、基本盤面にフォロワーをあまり出さないデッキであることも含め、受け身のデッキなのに受けきれてないということが結構おこる。そもそも最近のアンリミテッドにおいてさっさとけりをつけられないデッキは弱いという感じになっており、そういう意味でOTKエルフは今はあまり使われていない。
エルフクラス② 豪風リノセウスエルフ
2代目リノセウスである豪風のリノセウスでワンターンキルするデッキ。1コスト1・1 ファンファーレ +X/+0する。Xは「自分がこのバトル中に(このカードを含めず)プレイした豪風のリノセウスの枚数」である。Xが5以上なら、疾走 を持つ。(自分がこのバトル中にプレイした豪風のリノセウスはX枚)
進化後 自分のターン終了時、このフォロワーを手札に戻す。 という能力に変わっている。
簡潔に言うとするなら、攻撃力アップの条件がそのターン中のカードプレイ枚数ではなく、このバトル中にそれまでプレイした豪風リノセウス自身の数、に変わっており、そのそれまでのプレイ枚数が5回に達していたなら、そこから疾走を持ちいきなり相手プレイヤーに攻撃できるという形に変わっている。
まず、使ってみると分かると思うのだが、1代目リノセウスよりはかなり扱いやすくなっている。1代目リノセウスは攻撃力アップがそのターン中のみであったため、低コストカードをためて相手を倒すと決めたターンに一気にはき出すという戦法を取っていた。その難点として、キルターンまでに繋いでいくための手札が実質的に少なくなってしまうというものがあったのだが、この豪風リノセウスにはそれがない。攻撃力アップの効果はずっとためられていくので、除去や回復をしつつ合間を見てリノセウスをプレイしていくという柔軟なプレイが可能となっている。
デッキ構築としては1代目リノセウスとは全く異なり、自然の導き、対空射撃などの自分の場のカードを手札に戻す、というカードをふんだんにいれる。プレイングは、リノセウスのカウントを進めつつ、疾走を持った段階で、6,7,8、と3回プレイして、計21点で相手を倒すということを目指す。運がよければ6ターン目に相手を倒すことができる。
また、1代目リノセウスよりも守護でのダメージが小さいという点も大きな違いであり、1代目は最低でもリノセウスは2枚必要だったのだが、この豪風リノセウスは、場のカードを手札に戻すカードがあればリノセウスは1枚あれば相手を削って勝てるのである。つまり、3枚中2枚は相手の守護処理に使ってしまっても最悪大丈夫ということである。
このデッキは現エルフクラスアンリミテッドデッキにおいてはトップとなっており、基本的にはエルフクラスにおいてはこのデッキが選ばれる。最新パックにおいてアクセラレート(フォロワーをスペルとして軽量コストで使うもの)で自然の導き効果を発揮するフォロワーが出たことで、色々性能が向上し強化されたことが理由である。
エルフクラス③アマツエルフ
2代前…2パック前では環境デッキだったものである。
なんか疲れたので短く書く。どうせ需要ないし。
フェアリーブレイダー・アマツ 3コスト 2・3
ファンファーレ 自分の手札にフェアリーが2枚以上あるなら、+1/+1して守護 を持つ。4枚以上あるなら、さらに、+1/+1して、必殺 を持つ。6枚以上あるなら、さらに、手札のフェアリーすべては+1/+1されて、疾走 を持つ。
これを軸にしたデッキである。要するに手札のフェアリー枚数によりパワーアップし手札にフェアリーが6枚以上あったらそれが全部疾走効果を持つのだ。もう一種のフェアリー疾走付与カードである神鉄圧錬法がも含めて、まあそういう感じで勝っていくデッキである。うまくいけば5ターンで相手は死ぬ。4ターンで相手が死んでしまうこともある。のだが、アマツ+フェアリー6枚以上というのはけっこう達成条件が難しく手札に他のカードがあるからフェアリー5枚までしか加えられないとかいう事態も起こり、そもそもそろわなかったら弱いし…という感じで今は環境から消えている。もっと安定してさっさと勝負を決められるデッキが増えたからである。
エルフクラスはこれで終わる
更新停止
タイトル通りです。
しばらくはお休みします。私には、一人で延々と書くような日記の物は、やっぱり向いてなかったようです。
別にこれをやったからって、誰かと縁が出来るわけでもない、SNSの中で繋がってる人に読んでもらえるわけでもない。…タイトル通り孤独なままで。疲れてしまいました。なので更新停止します。
ブログでもSNSでも、私の辛さは伝わらないんだと、そういう思いが日に日に強くなって。…まあブログを始めた時点からそうだったんですが、もうある意味ピークになってしまって。
私は、縁が出来るかもしれない場所に帰ります。ずっと読んでくれて感じてくれた人が居たとは思えませんが、もしいたらありがとうございます。では。
私という人間
寝れないので自分を落ち着かせるためにも書くことにする。またSNSで荒れたら人が離れて声をかけられる可能性が更に下がってしまうからね。
さて、まあ以前にも書いたようなタイトルだが、まあ内容は多少違うと思う。
っていうかいま検索してみたらほぼほぼタイトルまで同じだった、というわけでタイトルも変更し書き方も変えてみようと思う。
なんで自分はこんなに違うんだろう。他の人の事が分からない。なんで明るいんだろう。そしてなんで私と明るく話そうとしてくるんだろう。私はそんな風に話したくないのに。どうしても合わせてしまう。
他の人の目に、心に、私の苦しみは悲しみは寂しさは嘆きは憎しみは怒りは絶望は映っているのだろうか。
明るく話されるのは嫌いだ。なんでお前そんなくだらないことで悩んでんの馬鹿じゃないの?って暗に言われている気がするからだ。私は明るくされるのが大嫌いだ。自分の悲しみを苦しみを否定され嘲笑われ踏みにじられているように感じるから。
私は精神病を患っていない。おそらくは。そう鬱とかなんとか、そういうものはまったくない。というかもしあったら私はこの世に居ないだろう。親に殺されてもおかしくはない。
少しでも変な事を言ったりやったりしたらすぐに暴力だ。だから私は自己コントロールに己の全てを費やしたのだと思っている。全ては親の暴言暴力から少しでも逃れるために。そしてその代償として、喜びや楽しみを感じる心が無くなっていった。
私の苦しみは悲しみは寂しさは嘆きは憎しみは怒りは絶望は、とは言ったけれど、正直そんなに強いものじゃない。しかしそれは常にあって、無くなることはなくて。怒りや憎しみは想像や空想の中で爆発する。人を殺す想像を私は何回やっただろう。
私の心は平坦だ。文章にもそれが表れている。谷の部分を山の部分で埋める…私はそんな風にずっと生きてきた。だから嬉しいことがあってもあまり表現することは無かった。
私は広がった漠然とした負の感情をずっと持ち続けている。心の中にはそれしかない。私にとって明るいものは不快なものだ。でもリアルでは明るいし、SNSでもそれなりには明るい。他人に合わせているのだろうか。
はっきり言おう。私の方が辛いのだ。精神病を患っていても笑っている人間は多い。楽しいひと時を持つ人間は多い。私はそれが無い。というか、私の世界にそういうものは存在しない。
だから、生きていて楽しいと思った事はないし、何がそんなに楽しいのか嬉しいのか笑えるのか、私にはわからない。
私の目に映るのは辛く生きる姿だけである。学校の成績に追われ入試に追われ就職に追われ金稼ぎに追われ…追われ続けるのが人間の生きている有様だと私は小学生相当の年齢の頃から思っていた。なぜみんなそんな人生を生きているんだろう、どうしてもっと自殺しないんだろう…というのは中学生相当の頃?から思っていたように思う。記憶にははっきりとはのこっていないが。
とにかく、私にとって生きることは辛いことであり、それを楽しむ人間のその心が私は理解できなかった。そういうものなんだろう、自分より幸せで親から虐待なんてされてないんだろう、と私は思っていた。
私は、自分が生きるという事に関しては、ずっと、虚無的なものを思っていた。ずっと家でずっと親の言葉を聞き続けている私にとって、平和でゲームができればそれで十分だった。しかし満足なわけはない。私はずっと、一緒に遊んでくれる存在が欲しかった。
私は一人は平気だった。親と居るより一人で居る方が平和であるからだ。しかし寂しさは常にあった。平和でゲームができればそれで十分、それが自分の過ごしている世界の最高、だったけれど、それよりももっと上のものを絶えず求めていた。しかしそれが手に入ることは無い。だから私の人生は幼い頃から、てきとうに満足しててきとうに生きるものでしかなかった。
私は早い段階から冷めていた。精神的な病を患わなかったのは、自分も含めて、全てに対して冷めていたからだ。その証拠に私にリアルの記憶はない。小学生どころか中学高校相当の年齢の事も基本は覚えていない。まあ同じだからいちいち個別に覚えておく必要はないのだが。私が覚えている記憶は最低限の記録だけである。
私の人生は虚無だし、私の生に対する考えもまた虚無だ。私の世界には、私を愛する者は一人もいないしそもそもそんなものは存在しない。
私の苦痛を受け止め、辛かったねと言う存在も勿論いない。私がSNS、あるいはリアルの対人関係で、そういう存在を強く求めるのはそういう理由なわけだ。
私にとって私の世界に存在する人間は私を貶し嘲笑う、暴言暴力を振るう、その一種類の人間だけである。そいつらはいつも明るい、機嫌のいい時は笑い私に話しかけてくる。そして機嫌が悪くなれば暴言である。私が辛い苦しいことを話せば、大したこと無いだのなんだの笑って貶してくる。
私が明るい人間を嫌うのは、私の中で、明るい人間=親と同種、となってしまうためだ。私にとって明るく楽しそうにしている人間はみな親と同じで私を否定し踏みにじる者である。
私にとって私に明るくしてこない人間だけが、まず第一段階のフィルターを通過してくる。こいつは親と別種の人間である可能性がある、となるのだ。
私が人の悲痛な話や悩みを聞くのが好きなのは、人の助けになりたいとか悩みを聞いて楽にしてあげたいというのもあるが、ぶっちゃけそのフィルター関係の理由の方が大きい。
私は自然に話せば自らの苦痛にまみれた体験を話してしまう。私の心に満ちるのは負の感情であり、自らの負の感情が伴うそれらこそが、私の中にある通常のものなのだ。
そういうものをごく自然に話すシチュエーションの一つとして、悩みを聞くというやり方を取っているのだと思う。相手の悩みを聞きながら自分の負の感情もまあ吐き出せて自分の悩みも話せる、しかも常に、親と違う種の人間だと思いながら話せる。私にとってはこれこそ癒しなのだ。己の傷が癒えていく。
そう。私は明るい人間の様子が嫌いだ。親と同じだと認識してしまうため、話しているだけで、虚しく悲しくなり酷いときは傷が広がる。
私は人の悲痛な面を受け止めるのが大好きだ。他の人と違いそれで自分が暗くなることは無い。暗い話をしているが私にとってはそれが通常の状態である。暗い話をしながら実は私は絶えず元気になれるのである。
こういう人を私は他に見たことが無い。そういう意味でも私は特殊な人間であり、通常の人間と当たり前の物を一致させられない時点で、私は人間では無いとも言える。
今現在、私は再び、世に人に絶望している。悲痛なものが溢れていると予想したところで、他のところと変わらず明るい楽しいものが溢れているからだ。
…私は世界に、人に、必要とされることは無いのだと改めて思っている。自らが励ました人達も明るいときがあったからである。私にそんなものは無い。寄越せ、一部でも。ああ奪い取りたいとも奪い取れるなら!
…この世に私が励まさなければならない人間などいないのだ。
ちなみに私は励まされたいとは思わない。私が人に求めるのは励ましではなく、己が苦痛、嘆きの肯定である、共感であり、受容だからだ。
まずそこからである。それを私と関わる多くの人は勘違いしたのだと思う。だから色々な人を切ってきた。こいつは明るいだけで私の事など欠片もわかっていないこんなやつを励ましたところで何の意味もない、という感じに。
私は苦しみ喘ぎながら生きてきた。そこを理解し、その傷を癒すことを考えないと、私にとっては意味が無い。
明るい人間は必要ない。それなら、底抜けに暗い人間と暗いものを、負の感情を伴ったものを語らうほうがましである。
虐待親は自覚がない
性暴力のことをテレビでやっていた。父親に性暴力を振るわれ続けていたのに父親が無罪判決になってしまった例の事件の事である。
まあ、親は、許せないとか酷いとか言うわけだ。相手が子供だったら罰せられないのかなんとかかんとか。
いやお前ら私に暴言暴力振るってきてるよなずっと?
まあ虐待親というのはそんなものである。自分たちが振るった暴言暴力は忘れているか、暴言暴力と思っていないか、どちらかである。
まあ私は、虚しく悲しくなりながら話を聞いていたわけだ。
そしてそのテレビ番組を見ながら、私が食べこぼしたら馬鹿だとかあほだとか色々貶してくる。それが虐待だという意識もなく、テレビの性被害に許せないと言う親二人。これが虐待親だ。
どうだ?屑だろう?
性被害の事に関してだが、私は男性だが、当然許せないと思う。女の子に生まれたかった、生きたかったと願う私にとって、女性がされることというのは決して自分と無関係な話ではないのだ。
むしろ、もし自分が女性で、そういう事をされたらどう思うかとすぐに考えてしまう私にとって、性暴力というのはなかなかに恐ろしいものである。
ここら辺の事はまたそのうち書こうと思う。タイトル的にこれ以上書くと別物になってしまうからね。
空想の中の自分①
私は幼い頃から空想が趣味だった。題材はアニメである。漫画というのは買ってもらえなかった…というか与えられなかった時期が長く、与えられていた時期も短いので、まあ私はほぼほぼアニメが空想元だった。アニメはまあ見せてもらえていたのである。わざわざ母親が録画してくれていたことも覚えている。12歳ごろを境に、アニメなんていつまでも見るなと急に母親が変わりだしたことも覚えている。そのため、母親がわざわざ録画してくれていたことへの感謝も吹き飛んだ。まあそうやってありとあらゆるものを良いものから悪いものへと塗りつぶすのが私の母親である。まあそんなわけで、私はアニメを13歳からの数年間見れなくなった。
ネットができるようになってからはアニメやら二次創作小説やらを見ているので割と自由になったが、ネットが出来るようになって数年はゲームが一切できなくなったため、私は空想世界がメインになってしまった。
さて。空想の中の自分がどんな自分であるかだが。ぶっちゃけ時期によってまあ異なる。しかし、幼い頃から年一ケタぐらいの時は、空想の自分は女の子だった。その頃はポケモンの空想がメインで、他に見ていたアニメの世界へ自由にそこから渡っていく、という空想をしていたように思う。
女の子のキャラといっても、ポケモンの中に出てくるキャラの容姿をそのまま取り入れただけであった。詳しい説明は省くが、ポケモンをプレイする際、初めて性別を選べるようになったソフト(クリスタル)の女の子主人公をそのまま取り入れた。当時はまだ女の子主人公がアニメで活躍するというようなのはなかったので、そのまま取り入れることが出来たわけである。
ちなみに、2代目の女の子主人公から、アニメでサトシととともにレギュラー出演することになる。4代目は出演しないが。
さて、私の空想の話に戻そう。その空想の中の自分の視点となるキャラがどんな感じのキャラかというと。基本は泣き虫であった。良く泣く。当時の自分そのままだった。また、今の様に憎しみに囚われているわけでもない。割と普通だった。しかしポケモントレーナーとしてはかなり強い。悪いやつが居たら率先してやっつける。そこら辺は今の想像と変わらない。
また、姉が居た。二人。その二人も勿論ポケモンで実際にあるキャラを真似た。一人はアニメにも出るキャラ。もう一人は後に初代ソフトのリメイク時女の子主人公として描かれる、偶然に目にしたポケットモンスタースペシャルという漫画のキャラである。
自分はまあ末っ子だったわけだ。二人の姉に甘える感じである。ただいつも旅をしているのは一人の姉と自分だけだ。当時は、アニメの中の、サトシたちの旅の中に自分一人が加わって、もう一人の姉は別に旅をしている、という感じで、いつも一緒というわけでは無かったと思う。もう一人の姉はジムリーダーであるため旅はしていない。
空想の中の自分がどのようにアニメの登場人物と関わっていたかはあまり記憶には無い。が、まあそんなに色々な感じではないだろうなと思う。昔の方が想像力が豊かだったという事はないからだ。
まあなんというか。幼いときの空想の中の自分は、おとなしくて怖がりですぐ泣いて、でも戦いになると結構強い、そういう感じの女の子だったということである。なぜ女の子で想像していたのかはわからないがそっちの方がやりやすかったんだろう。私はもう幼い頃から女の子になりたかった男の子だったのだ。
記事が長くなるので分割する。